No.306 なんども変化したナースの呼び名?日本における看護職の歴史
英国でナイチンゲール看護婦訓練学校が開設されてから160年以上。日本では125年以上の歴史があり、数回の法律改正で呼称が変化しました。この記事では、戦場看護や災害救護を経験し職業的発展を遂げた「ナースの歴史」について紹介します。
ナース(nurse)の語源
ラテン語の「世話をすること」が語源とされています。英語の意味は、ヨーロッパ上流階級の家で雇われていた「乳児を世話する」乳母のこと。また、傷病人の世話をする看護師や幼児の世話をする保育士も、同じナースという呼称が使われます。
日本における看護職
日本での看護教育創設は1886年。1890年に博愛社病院(後の日本赤十字社病院)で救護看護婦の養成が始まりました。当初は「戦時救護」が目的でしたが、1891年濃尾大地震での救護活動を経験したことから「災害時の救護」も看護婦養成の目的となりました。その後、日本赤十字社が1896年に看護学教程を刊行しています。
また戦時下においては、多くの救護看護婦が戦地に派遣されました。太平洋戦争が勃発すると看護婦補充が急務となり、1942年には高等小学校卒業者に入学資格が認められ、2年で乙種救護看護婦となれる戦時措置が取られました。この措置は1945年の終戦と共に廃止されました。
看護職の質と量の向上
戦後1948年にGHQ指導のもと保健婦助産婦看護婦法が制定され、看護行政基盤が整備されました。その後、国民皆保険制度のほか医療の高度化や高齢化社会などの問題に伴い、看護職の質や量も問われるようになりました。
開校当初の入学資格は「高等女学校卒」で、看護は女性限定の職業でした。それから70年以上が経った1968年、法改正により男性でも看護職に就けるようになりました。女性は従来通り看護婦という呼称ですが、男性は看護士と呼ぶようになりました。
1985年に成立した「男女雇用機会均等法」の影響があったかは定かではありませんが、徐々に男子学生が増加しました。国が設置した看護制度検討委員会は1987年、看護職の社会的地位や評価の向上を目指すために大学や大学院の増設を提言しました。
1992年に看護士等の人材確保促進に関する法律が施行され、看護系の大学が約150校にまで増えました。1994年訪問看護制度が開始され、以前は助産師にのみ認められていた独立開業権が看護師にも認められ、在宅介護サービスや福祉施設などの多様な場で看護師が活躍できるようになりました。
看護教育創設から100年以上が経過した2002年、法改正によって性別による呼称の違いが無くなり男女ともに「看護師」と統一されました。2008年で5.1%だった男性看護師ですが、2018年には7.8%に達しており現在まで増加傾向が続いています。
働きやすい職場選び
近年の医療現場では、体力的に優位な男性看護師の存在は需要が高まっています。職場環境は男女比率によっても雰囲気が変わると言えるでしょう。男女ともに悩み多き職業だと言えますが、求人が多い職種でもあるので解決のための思い切った「転職」もおすすめします。
- ■まとめ
- 女性の職業であった時代から、男性看護師の需要が高まる近年までの歴史を紹介しました。どの時代においても、看護師の仕事は社会に必要不可欠です。看護師の皆さんが働きやすい職場を選び、誇りを持って長く活躍されることを期待します。