No.133 戦争と共に歩む看護師の歴史
看護師の歴史上、フローレンス・ナイチンゲールは看護精神を世界中に広げ始めた一人です。看護職の始まりは中世ヨーロッパの教会で修道女が病人の世話をすることが起源となっています。それが今では看護師の土台となっています。今回は、看護師の始まりともいわれる彼女が登場した時代背景と看護師の歴史についてみていきましょう。
ナイチンゲール以前の医療現場
ナイチンゲールが出現するまでは看護という仕事はしっかりと樹立していませんでした。ヨーロッパでは病院は存在しましたが看護師の教育もしっかりしておらず、ただ単に女性によって担わっていました。日本では明治時代政府の新しいヨーロッパの医学が導入されるまでは、病院という施設すら存在せず、看護を専門的に働く看護師も存在しませんでした。
看護師は戦いの場で産声を上げる
1853~56年に起こったクリミア戦争当時、負傷兵など軽傷から重傷まで多くの怪我に対応をし、その対応行動を看護という言葉が使われるようになり、戦いの場で看護を行うナイチンゲールを看護師と呼ぶようになりました。
多くの命を救う使命が看護の原点
看護にあたって彼女は、看護知識を備えた人材が不足して多くの命を失われていくのを目の当たりにし、看護を世界に広めて、看護師の育成をし、必要性を世に訴えていました。
クリミア戦争から帰還したナイチンゲールは「看護覚え書」という書物を書き、その本に看護のあり方などを書いていきました。その後、ロンドンに看護婦養成所が設立され、そこから本格的な看護の養成教育が始まることとなります。養成所での教育方法がナイチンゲール方式と呼ばれ、日本にも多大な影響を与えることになり、その教育法は日本の看護に対する第一歩となり、その後数十年を経て、1885年に日本に看護学校が設立されました。
敗戦を糧に立ち上がる日本の看護
1948年第二次世界大戦後、日本はアメリカの敗戦国になったため、アメリカ指導の元で新しい看護制度と看護教育制度が発足されました。そして保健師助産師看護師法が国家資格に制定されて、正式的に看護師という職業が確立されたのです。
そしてナイチンゲールが掲げた「いついかなる時も人の命を守る」「職業人として誇りをもって取り組み」という素晴らしい看護の精神が今でもしっかりと受け継がれています。
ナイチンゲールの広めた看護師の精神はとても高潔で尊いものであることは間違いありません。一方で、看護師が誕生した背景には戦争という悲しい歴史があり、日本における現在の看護師があるのもまた、語り継がなければならない事実といえるでしょう。
看護師に求められるものは、戦時下であっても、平和な現代であっても変わるものではありません。